海外に暮らして

誉め上手な人


日本の新聞、最近は国際版を日本国内とほぼ同時に読むことができるようになった。オランダに住む私達は日本経済新聞を購読しているが、毎日、夜中の12時前後に配達される。日本との時差8時間を考えると、日本の人が朝の食卓でその日の朝刊を読む、それと同じ頃に、オランダでも同じ新聞を読むことが出きると云うこと。便利になった。2月22日の新聞は36ページのうち、全面広告がなんと6面、そのうちのひとつ、「60際のラブレター大賞作品発表」に目が行った。審査員の一人、細川俊之さんの言葉がとても印象的だった。

「夫婦ほど、すてきな関係はない」
第二の人生を共に歩もうとする夫婦の思いは、美しく、温かく、爽やかな感動的な言葉ばかり。ー中略ー 皆さんも、これを機会に、人生のパートナーに感謝の気持ちをもっと伝えてはいかがですか。きっと、もっと素敵な夫婦になれますから。

こちらで暮らす友人夫婦、彼らは国際結婚組。仕事などでどちらかが家を空けるときは、必ず毎晩電話で連絡を取り、彼らの言葉で「愛してるよ」。二人の会話は、言葉の端々に相手を思いやる気遣いに溢れている。

マレーシアのクアラルンプール、子どもの通うインターナショナルスクールには、さまざまな国から子ども達が集まってくる。親の出番も多く、いろいろな機会に母親同士のつながりが広がる。彼らの会話を聞いていると、誉め言葉が多いことに気づく。「その服、とってもお似合いよ」「あなたのご主人は、ワインの選び方が上手ねえ」などなど、感じたとおり、まるで頭で考える手間を省いているかのように、ハートから口に言葉が直行して出てくるようだ。家族同士でも、例えば、子どもに対しても「よくできたわね」「やさしい子ね」など、母親の言葉のほとんどが誉め言葉じゃないかと思うほどだ。

(もっとも、イギリス人は相手を傷つけないようにという思いやりからなのか、決して直接否定的な言葉は使わない。誉めてるようで、その実否定しているという凝った表現を得意とするそうで、英語圏の人とのおつきあいには、こういったニュアンスを持った表現も実はあったのかも知れないが。)

もうひとつ、おしなべて上手だなと思うのは、感謝や相手への思いやりの気持ちの表し方。
普段の会話にも勿論、「ありがとう」は年中登場するが、機会ある毎に「サンキュー・カード」を送る習慣はとてもいいと思った。人を招いたら、招いた方も招かれた方も後日、この小さなカードを送りあう。何か借りたらお返しするときにカードを添える。プレゼントにはもちろん必ず一言添え書きがついてくるし。小さなカードは自分で工夫して作る場合も多いが、選び方にその人のセンスが表れ、手書きの文字には、送り手の「人となり」がそのまま表れている。

スイスで借りた家。マレーシアから着いたその翌日に候補の物件を何軒か見て歩き、最初に見た家に決め、2週間ほどのホテル暮らしの後、何もないこの家に移った。家具無しなので、カーペットを敷き詰めた室内は、それこそ照明器具ひとつない(キッチンだけはライトがついていたけれど)。そこへ、ドアのベルが鳴り、花束が届いた。小さなカードが添えてあり、そこには大家さんの名前で、"Welcome to Switzerland!"と手書きしてあった。

誉めるということに話を戻そう。子どもに対して母親がたくさん誉めるのは、誉めて育てようという考え方が広く行き渡っているからかも知れない。大人同士の場合は、社交辞令もあるだろう。だが、誉められて、悪い気はしない。
第一、誉めるにはけっこうそれなりの技術が要る。まず、相手に対して敬意を持って接し、相手のいいところを捉え、それを言葉にして表現しなければならないのだから。それだけじゃない、こちらの気分が滅入っていたら、誉め言葉も見つからない。気持ちよく暮らしてこそ、相手にも優しくなれる、と言い換えることができるかも知れない。

誉め上手な人、その人の傍にいると、私自身が誉められたわけではないのに、いつも気分がすこぶるいい。そういう人っているものだ。

日本の教育も、満点が百点で、そこから減点していくのではなく、間違えることを恐れたり、避けたりしなくてもすむような、誉め上手なシステムにしたら変わるのではないだろうか(どんな風にそれを実現したらよいのだろうか)。家庭で誉めて、学校で誉めて、誉められる方が成長するだけじゃなく、誉める方もそれで成長する、こんな素敵な関係を持てたら、どんなにいいだろう。 (Feb.23, 2001)

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