海外に暮らして

満員電車のなかで・・・


(ヨーロッパでは)知らない人でも誰か人がいれば人と認める。
日本人の場合、ちょっと言い方悪いけれど、少しでも知っている人は人だけど、全く知らないその他大勢はその他大勢であって、人ではないみたいな区別があるような気がします


これは、「目は語る-番外編」でちらっと触れたことなのだが、体の一部が接触する事に関する線引きも、ヨーロッパの人と日本の人ではまた別の違いがあって面白い。

満員電車。駅で知り合いとばったり出会い、行き先が同じだから一緒に乗り込む。さて、困った。普段一人で乗る場合なら、周囲の人と体の一部がべったりくっつく状態も何とも思わないのに、お互い知っている者同士だとなんだか気まずい。こんな経験はないだろうか。

外国では、満員電車そのものにあまり乗り合わせたことがないため、直接の比較はできないが、かなり混み合った電車や、エレベーター内では、まずほとんどの人が他人と接触しないように距離を取る。ちょっとでも触れたら、「すみません」。道で、向こうから歩いてくる人とぶつかりそうになると、かなり手前で道を譲る。お互い同方向によけるものだから、よけたことにならず、今度は反対方向、相手も反対方向に動く、で、何度もこれを繰り返し、互いに苦笑い、なんてこともしばしば。

人混みをかき分けて進む、これは東京などの大都会では必要なテクニックだ。手で進む道を作るか、肩で押しのけて進むか、体を斜めに構えてすりぬけるか。こっちの人は、「すみません」と言って相手にどいて貰ってから通るが、日本のなかではいちいちそんなことしていられない、もたもたしていたら、邪魔だ、どけ!と怒鳴られそう。

要するに、他人との接触はなるべく避けるのがこちらの人。ところが、これが他人じゃなくて、知人の場合は一転してべったり接触するのを好む。
毎日のように会っているのに、まるで一年ぶりのように、抱き合い、頬と頬を三度もくっつける。日本人はこうは行かない。他人なら満員電車でべたっとくっついても気にならないのに、知り合いだと、満員電車ほど触れる面積は多くないのにこちら式の挨拶はなかなか板に付かない。まして、日本のなかで、町中で、抱き合って挨拶はまずできない。
(Feb.17, 2001)

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