海外に暮らして

「ゆっくり」


「スローフード」、イタリアの小さな街で起こった、食の本来の姿を取り戻そうという運動だそうだ。「ファーストフード」を意識しての造語に違いないが、この「スロー」であることって、ヨーロッパの文化では特に大切にされていると思う。

一番初めにこのことに気づいたのは、スイスでのこと。私はそれまで「典型的日本人」で、町を歩くのに意味もなく小走りになってしまうことがよくあった。何も電車に乗り遅れそうとか、人との待ち合わせに遅れそうとか、そういう理由が無くても、ついつい気がせいてしまって走り出していることがある。そうすると、周囲の人がきょとんとして私を見るのだ。「なんでこの人は走っているの?」 

それから人々の動きをよく観察した。すると、よほどのことがない限り、みんなゆったりと歩幅を大きくとって、背筋を伸ばし、堂々と歩いている。脚の長さに決定的な違いがあるのだから、彼らと同じように歩くのは無理とは言っても、せめて、前屈みで膝を曲げて歩くのはよそうと気をつけるようになった。動作がゆっくりしているのは「大人」のトレードマークだと聞いた。子どもっぽいことを良しとしない、「大人」としての振る舞いがベターとされる文化がそこにあるのだろう。

ゆっくりなのは歩き方だけではない。客の応対、これがまた日本と大違い。例えばデパートのレジ。店内の何カ所かに支払いカウンターがあり、客はそこまで品物を持って行って並ぶ。並び方も一列に並んでいるような、いないような。店員の動きはほとんどの場合ノーンビリ。後ろに客が何人並んでいようとお構いなし。おまけに客と冗談交じりのおしゃべりまでして、「楽しく」応対している。客の質問にも丁寧に答える。後ろで待たされている客の方も、まあこんなものと苛々しない。

私は思うのだが、ヨーロッパでは日本やアメリカのような接客用マニュアルなんて存在しないのではないか。つまり、日本で受ける応対のスピーディさ、丁寧さがマニュアルから来ているのに対して、ヨーロッパの応対は常に一対一。客一人一人のニーズに基づいて店員の才覚で応対する(私の偏った見方かも知れないが)。 だから、当たり外れは大いにある。同じことを聞いても返ってくる答えがこうも違うものかと驚くことはいつものことだ。だが、「スロー」を良しとする文化だからこそ、効率本位でない価値観が人々の暮らしに根付いているのかも知れない。
(Jan. 25, 2001)

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