海外に暮らして

注意されるということ
その@ 土足の話


子供を育てていて、見知らぬ人から注意されるという経験は多少なりとも誰にでもあるだろう。私も場所を問わず、経験している。最近では、二人の子供達は成人し、注意される立場から注意する立場に変わった、といっても人様に注意は容易に出来ないが。

日本で注意されたのは、子育ての時期に日本で暮らしていた期間が短かったせいか、はっきり覚えているのは一度しかない。それは、一時帰国の際、2才半の息子を連れて、駅のホームで電車が来るのを待っていたときのことだ。子供が靴を履いたまま駅のベンチの上を歩いたら、すかさず年輩の女性が、何とけじめのない母親なの?という顔で「靴を脱がせなさい」と一言いうなり、立ち去っていった。

「そうよね、ここは日本なのだから、土足と内履きは区別するんだった・・・」分かってはいたけど、何しろ普段はあまり気にしていなかったから。と自分自身に言い訳。外国で暮らし初めてはじめの内は、そりゃ私だって土足のまま家の中を歩くなんて考えられなかった。だが、これは家の構造上仕方ないのだ。玄関に上がり框というものがない以上、そのまま自動的に土足で入れてしまうのだから。

理由はそれだけではない、「郷に入っては郷に従え」私は大抵のことはこの基本で暮らしたから、これに関しても同じように周囲の人がやっているようにやってきたまでだ。

暮らしている内に、もっと別の根拠もでてきた。
彼らはよほどのことがない限り裸足にならない。
そのころ暮らしていたトルコでは、外履きと室内履きの区別は多少あったから、外を歩くときの靴で室内を歩くわけではない場合も多かったが、それでも決してその室内履きを脱ぎはしない。
極端な話、週3回掃除にきてもらっていたトルコ人メイドは、台所の棚を掃除するのに、調理台に室内履きを履いたまま上がった。あとで調理台を拭けばきれいになる。私は自分にそういい聞かせた。

「言挙げせよ、日本」の著者、松原久子さんは「日本人なのだから、外国にいたって日本の習慣を保持したい。だから、習慣の違うその国の人にもわが家では靴を絶対に脱いでもらいたい。」と書いている。そのために、どれほど相手の人と押し問答しようとも絶対に譲らない。そのくらいの心意気がいまの日本人には必要だと説く。「言挙げ」するためには確かにこのくらいの気概を持って、暮らしていかなればならないのかもしれない。

まあ、どこまで自分の主張を通すか、それは人それぞれ基準が違うと思うが、こと土足の問題に関しては、私はあっさり自分たちの習慣を捨てている。それは、その方が楽だし、来訪者に「靴を脱いで下さい」といって脱いで貰ったはいいが、何日もお風呂に入ってないらしい足からは、想像を絶する芳香を放っている場合もあるのだから。 (Jan. 22, 2001)


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