海外に暮らして

もったいない、について 


トイレの水がいつまでもチョロチョロと止まらない。何かの拍子に止まったかと思うとしばらくしてまた始まる。今朝もずっと水の流れる音がしていたっけ。気になるようだったら大家さんに頼んで修理してもらおうかな…。

そんなことを考えながら、私の頭はアルジェにいた10数年前にフラッシュバック。当時のアルジェリアは、その後のイスラム原理主義の脅威が吹き荒れる前の比較的平和だった時期で、地中海気候ののどかな風景は今でも脳裏に焼き付いている。階上に住んでいた大家さん一家はいつも親切で何一つ不満はなかった。それでも、毎日の暮らしはやはり大変だったなあという思い出の方が多いかも知れない。日常の生活必需品の入手がまず難しい。1週間に一度、夫の会社の運転手さんが車で迎えに来てくれてマルシェと呼ばれる露天市場へ行くのが唯一の買い物の機会で、生鮮食料品は何とか揃えることができたけれど、その他は全く手に入らないか、あっても日本では絶対にお目にかかれないような非常に素朴なものしかなかった。石でできた床は、夏の40℃近くなる暑さでもひんやりと涼しかったけれど、毎日のように食事の接待の準備をして、その後かたづけまで、ほとんど台所で立ちっぱなしの暮らしには、その硬い床がなおさら硬く感じられた。

そんな暮らしのなかで、ひときわ思い出深いのは、毎日の断水。慢性的な水不足とインフラの不備から、給水時間が日に数時間に限られ、水道の蛇口をひねっても一滴も水が出ない時間の方が長い暮らしが4年の滞在のうち通算3年間はあっただろうか。給水が始まってまず始めに大きなポリタンクに水を貯めて、大鍋に飲み水用のお湯を沸かして冷ます・・・これだけはやっておかないと。市場に行った日は、給水が止まる前にとにかく野菜や魚など洗って捌いて冷蔵庫や冷凍庫にしまうところまで大急ぎで片づける。日本にいた頃は水道水は無尽蔵にあると無意識に思いこんでいた。アルジェでは違う。水のありがたさを毎日毎日感じながら暮らしていた。

そんな「ありがたい」水だから、無駄に使ったらもったいない。朝、どこからか水の流れる音で目覚める。ああ、またか。トイレの給水タンクが壊れているのだ。何度も直してもらったが、まともに直った試しがない。貴重な水が無駄に流されているのだ。水の流れる音は階上の大家さんの家からも聞こえてくる。多分前の日に給水が止まった際に蛇口を開けたままにしていたのだろう。水の流れる音は勢いよく、誰かが止めに行く気配もない。

車を洗うのにバケツに汲んだ水を使わないでホースから直接ふんだんに水を使う人、石畳の庭を掃除するのに、ホースから出る水の勢いで掃く人、ああ、もったいない。私はこの言葉をおそらくアルジェでもっとも頻繁に使っていたのではないかと思う。
  (Mar. 10, 2003)


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