海外に暮らして

備える、ということ 


ロンドン市内の住宅地で有毒化学物質リシンを所有していたとして去る6日、7人の容疑者が逮捕されたことを報じるBBCニュースで、現場近くの住人数人がインタビューに答えている映像があった。みな徒に不安がる様子もなく落ち着いてインタビュアーの質問に答えていた。同じ日、やはりロンドンで高齢の女性が殺される事件が報じられた。こちらも周辺住人のインタビューが映し出され、人々はこれまた至って落ち着き払っていた。曰く、ロンドンのような大都会ならこうした事件は起きても不思議ではない、自分の身に起こったことではないし、別に気にしていない、と。大都市が便利である反面、危険と隣り合わせであるというリスクを負うのは当然のことなのかと今更のように人々の沈着な反応に感心した。

現在私が住む町はアムステルダムに隣接した住宅地だが、盗難や空き巣狙いは頻発しており、人々はしっかりと備えをしている。家財に保険をかけるのは当たり前で、それをしていない私は、オランダ人からなんと不用心、とあきれられる。玄関の戸締りは補助のロックを幾つも取り付けている家が多いのに、我が家はそれもしていない。これではいつ泥棒に入られてもおかしくない。

オランダに来る前はスイスの小都市に3年ほどいた。周知の通りスイスは永世中立国だ。地続きで列強がしのぎを削るヨーロッパにあって、山に囲まれた九州程度の国土しか持たない国が中立を守り通すにはそれなりの備えがいる。国民皆兵制度、核シェルター配備、食料品や医療品の備蓄等、「国を守る」ために必要な備えはしっかり整えられている。国防軍の軍事施設は国中いたるところにそれとわからないようにカモフラージュして配備され、ゲマインデ(地方自治体)ごとに緊急の避難所が、たとえば病院の地下などに用意され、ベッドなども備えられていると聞いた。私が住んでいた家にも地下に金庫室並みの分厚い扉のついた一室があった。友人の家の地下倉庫には缶詰類やジャガイモなど日持ちする食料品が棚にずらっと並んでいた。スイスのパンは小麦粉を相当量備蓄して古くなった分から使うのでおいしくないのだとよく言われた。実際にはおいしくないどころか、ものすごくおいしくて私は大好きだったけれど。

どんな緊急の事態にも対応できるように備える。「国を守る」とはこういうことなのか、危機管理とはこういうことかと感心したものだ。なにも軍隊としての備えに限った話ではないのだ。

危機管理といえば、NASA(アメリカ航空宇宙局)を思い浮かべる。その危機管理について宇宙飛行士の毛利衛さんのお話を聞いた事がある。考えつく限りのあらゆる不具合に対し、一つ一つじっくりと検証する。それだけでなく、さらに状況が悪化した場合も想定して対策を考える。常に最悪のケースを念頭に備えをする。日本のロケット打ち上げでは、このような訓練はないそうだ。そう言えば、毎年関東大震災の日に防災訓練が行われ、非常持ち出し袋や避難場所の確認など一応備えはしていたが、一体どれだけの人があらゆる場合を想定してそれに備えていただろうか。私自身、やっていたことはとても本当に地震があったときの役には立ちそうもない、おざなりなものだった。
もっとも阪神大震災以後、人々の防災意識は現実味の点でかなりそれ以前とは変わってきているとは思うが。

備えること。起こりうる事態を予測し、それに備えるというのは、考えてみると私達は生活のあらゆる面で要求されている。自動車の運転でも次の瞬間にどのような状況になるか、常に予測しながら運転している。スポーツ全般も次の動作をある程度の予測の元に準備するからこそすばやく反応できる。私はチェロを習っているが、先生からは弦を押さえるにも弓の使い方にしても常に先へ先へとanticipateするようにと注意される。このanticipateという動詞は、〔予想する、予期する〕という一般的な意味のほかに〔前もって処理する、〈敵の攻撃など〉に先手を打つ、〈相手の希望・要求を〉汲み取って実行する、先取りする〕という意味もある。のんびり構えていては、一瞬の判断を迫られたときに遅れを取ってしまう、それが単にチェロの演奏に限ったことなら別に問題はないのだが。  (Jan. 20, 2003)


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