海外に暮らして

“暑さに思う”  by sawat dii


稀にみる猛暑の日本より こちらで居を構えるバンコクに戻りました。
熱帯の当地なのに 安堵感を覚える妙な思いです。
機内から1歩踏み出し、空気の流れに包まれ お気に入りの街との
再会を喜ぶせい?
暑くて当たり前、という概念のなせる技?
どうも それだけではなさそうです。

温度計の示す数値は、東京もバンコクもほぼ同じ
でもその数値だけでは 本当の暑さを比較できないのでは?
というのが私の感じるところです。
日本でのエアコンの室外機付近 焼け爛れたアスファルトの上の空気
示される数値よりはるかに高そうです。
他にも炎熱の都の原因がいくつか浮かびます。

一方、バンコクでは
逃げ場のない暑さに悩まされることはありません。
何が熱帯の暮らしを容易にさせているのでしょう?

通りに露天の店を出すおじさんが 風の通り道をうまいこと見つけ
惰眠をむさぼる
その足元で野良犬ちゃんが 平和な寝顔を見せている
彼等のエネルギー温存手腕に感服する。
悠久の流れ メナーム・チャオプラヤーに面した人々の暮らしがある。
ワット(寺院)を飾る無数の小さな鈴が風に揺れ
人々を優しい音色で癒す

駐在員夫人の一人として、私はバンコクの中心地で暮らしている。
雑踏の中にあっても、穏やかな時の流れは変わらない。

かつて 東京にも
金魚売り 風鈴 うちわ かき氷 行水 ・・・
そんな情緒と共に 共存できる暑気があった。

走り続けたニッポンが 置き忘れてしまったもの
それらが タイでは当たり前の顔をして存在している。

何が幸せなのか? 
ますます答えが見つからなくなっていく

発展・繁栄の代償として失っていく大切なものたち
その結果を 私達の子供達に平気で押しつけていいはずがない。

文明の利器で 性急に暑さから逃れようとするのを少し押さえ
出来ることを見まわしてみる。
そんな ゆとりを持てないほどの 暮らしであってはならないと思うのだが。
(Aug. 4, 2001)

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