海外に暮らして

 この戦争について-続き-米英軍によるイラク攻撃が終わって


アメリカはEC-130 Command Soloと呼ばれる専用機を使ってアラビア語のラジオ放送を流し、この戦争の正当性をイラク国民に向けて訴え続けていました。同時に周波数と放送時間を知らせるために延べ4千万枚にのぼるチラシを空から投下しました。心理作戦(Psychological Operation)と呼ばれるこの作戦は湾岸戦争で用いられ、およそ8万7千人のイラク軍兵士の投降をもたらしたそうです。今回も同様の意図からこの作戦は既に昨年12月にスタートしました。しかも公表されずに始まりました。
http://www.rnw.nl/realradio/features/html/iraq-psywar.html
http://www.dxing.info/profiles/clandestine_information_iraq.dx

放送の内容は、イラク軍兵士に対して「歴史が始まって以来、最も称えられるべき職業は軍人であり、軍服は敬意と忠誠を表している。軍人は自国民を守り、女性や子供を保護し、国家のために自己を犠牲にすることを厭わない。市民を守るために自身の自由さえ放棄する。サダム・フセインはこの名誉ある職業を貶める者だ。フセインの野望に手を貸してはならない」といったものでした。
http://www.dxing.info/profiles/clandestine_information_iraq_transcripts.dx

そしてチラシの内容は、当初はイラク軍兵士に対してノーフライゾーンをパトロールする米英軍飛行機に発砲しないようにといったものでしたが、次第に投降を促す内容になりました。さらに、一般市民向けには、米英軍はイラク市民には危害を加える意図はなく、独裁政権を倒すのが目的であることを強調し、軍の攻撃目標物に近づかないよう、自宅でじっとしているようにと訴えるものでした。このチラシは3月1日以降3回にわたって投下されています。
http://www.dxing.info/profiles/clandestine_information_iraq_leaflets.dx

国のために命を捧げることがアメリカでは疑いようもない明白な意味のあることだということ。また、イラク国民を解放する戦いというアメリカの大義名分は、実際に戦争に突入するかなり前から周到に準備され、イラク国民に向けて喧伝されてきたということを知り、現実には一般市民の中から大勢の犠牲者を出したことに対してとても許せない気持ちになります。


戦死したアメリカ軍兵士は、国のために尊い命を捧げた人として鄭重に弔われます。遺族の悲しみがそれで癒されるわけではありませんが、国のために犠牲になったと思えば、同じ最愛の人を失うにしても、まだ救われるのではないか、テレビ画面に映し出された星条旗の下の棺を見て考えます。個人が人を殺せば殺人の罪に問われるのに、国が戦争を宣言したら同じ行為を殺人とは呼びません。とはいえ、個々人にとっては愛する人がどんな殺され方をしようと、悲しみに違いがあるわけではないでしょう。それなら、せめて戦争で死んだ人とその家族にはそれがその戦争の当事国にとっての尊い犠牲なのだと思えるほうがいいかもしれないと思います。※1

それに対して、連日の空爆、地上戦で死んでいったイラク軍の兵士達は、どんな思いで戦い、どんな思いで死んでいったのでしょうか。勿論罪もない民間人が犠牲になるのは見るにしのびません。自分の家を爆弾にも耐えられるように補強し、その下でじっと攻撃の止むのを待ちながら、結果的に家族全員を失った男性の話などは、理不尽で無意味なこの戦争を象徴していると思います。それなら兵士は死ぬことも織り込み済みなのでしょうか。確かにそうかもしれません。ただ、最初から兵力に決定的な優劣があることがわかっている戦争で、しかもイラクは他国に対して宣戦布告をしたわけでも、隣国に攻め入ったわけでもないのに、アメリカのお気に召さない国だというだけで、攻撃の矢面に立たなければならないイラク軍兵士たち。しかも戦争開始直後から国の指導者達はどこに居るのかほとんどその姿は見えず、雨嵐のように降り注ぐ米英軍の砲弾を凌ぎながら彼らは何を考えていたのでしょう。恐怖政治による独裁政権の元でのイラクは彼らにとって命を賭して守るに値する国だったのだろうか、彼らには守るべき国としてのイラクがあったのだろうか、一体彼らは何のために誰のために死んでいったのか、そんなことを考えます。バグダッドが陥落し、巨大なフセイン像がイラク人の手によって地に落ち、踏みつけにされ、イラクは解放されたと諸手を上げて狂喜する人々と、侵略者アメリカを撃退するのだ、イスラムを守るのだと上官の命令に忠実に従って死んでいったイラク人兵士達との乖離。彼らの死を一体誰が弔ってくれるのでしょうか。

4月13日付けの新聞に「イラク精鋭部隊の大佐が軍の内情吐露」と題して、以下のような記事がありました。
 「中央からの指令は開戦とともに途絶えた」――。開戦前、精鋭部隊として恐れられたイラク共和国防衛隊の元大佐が12日、バグダッド市内の自宅で英BBCのインタビューに応じ、指揮系統がまったく機能していなかった軍の内情について吐露した。

 配下に600人の兵士を従える大佐は「開戦直後から明らかな戦力格差を実感していた」。フセイン政権への忠誠心が高いとされた兵士の士気も一気に低下。「毎日、2人、3人と去っていく部下を引き留めはしなかった」と振り返る。

 大佐は「バグダッドは兵士たちの故郷であり自分の家や家族もいる」と述べ、だれも首都での市街戦を望まなかったと指摘した。戦闘計画も指令も届かない状況で司令官たちは火を囲んで集まり「命を賭してまで戦う価値のない戦争だ」との結論に達したという。
(バーレーン=岐部秀光)

悲しすぎます。

テレビに映し出される略奪の映像。自国民のための病院や、人類のかけがえのない遺産まで破壊され、奪われて行く映像は本当に見るに忍びません。悲しいことです。

大量破壊兵器を持ってはならないと制裁を加えてきた国に対して、さらにその政権の息の根を止めるためと称して、最新兵器を大量投入して戦争を起こし、これは侵略戦争ではないからと言って、無政府状態に陥ったイラクの混乱を最小限にとどめる方策もなく、その裏で戦後復興はある一部のアメリカ企業に請け負わせるというやり方。そして、そのアメリカの暴走を他の主だった国も、国連も、どこも止められないという虚しさ。

戦争はこれで終わりということはないでしょう。これからも、世界のあちこちで引き起こされるかも知れません。古来から、戦争のない平和な時期なんてほとんどなかった、それほど人類と戦争は切り離せない関係があるのでしょうか。だからといって、何もしないで傍観することが今後も許されるのか、平和を希求する者の一人として何かできることがあったのか、これから何ができるのか、なかなか自分なりの結論は見いだせません。人間の盾となって戦場へ行った人たちには、その勇気に頭が下がる思いですが、私にはできません。世界中で繰り返された反戦デモに参加するというごく手近な行動を起こすことも、フセイン政権延命の肩を持つことにつながるような気がして、それもできませんでした。メディアに流される評論やコメントはさまざまで、どれも一理あるような気がします。世界は複雑すぎて、しかも肝心なことは報道という形では現れないことも多く、単純な判断は下せないでしょう。そういう状況で私達は日本人としてどのような行動をとっていけばよいのか、日本として世界の中でどのような役割があるのか、考えたいと思います。「知りません、わかりません、関心ありません」では済まされないでしょう。若い人たちにはぜひ真剣に考えて欲しいと願っています。

(Apr. 22, 2003)

※1:その意味では、イギリスのRemembrance Sunday(英霊記念日、11月11日に一番近い日曜日)は、第1次、第2次世界大戦の戦死者全てを、国を問わず、尊い犠牲として記念するという考え方は参考になります。http://www.lcd.gov.uk/constitution/cenotaph/remsun.htm


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