閑中忙あり   [観たり・読んだり・歩いたり] 目次
   アバウト シュミット


  何とも色々考えさせられる映画だ。これから定年を迎える人、既に迎えた人、新しい人生を踏み出そうとしている人、何もすることが見付からない人。それぞれの受け取り方が違っても、考えさせられることの多い作品である。名優ジャック・ニコルソンの演技も見応えがある。
   
  生命保険会社の部長代理シュミットが66歳で定年を迎える事になった。既に荷物はダンボールに整理されうず高く積まれている。その前に一人ぽつんとシュミットが座っている。やがてお定まりの送別会。
  さあいよいよ第二の人生だ。然しシュミットはする事がない。ネクタイを結び元の会社に行ってみる。仕事を引き継いだ若造に、何か分からない事があったら何でも聞いてくれと言うと、ノー・トラブルと軽くあしらわれてしまい、ショックを受ける。
  やがてテレビで、アフリカの恵まれない子が里親を求めている事を知り、早速その会に入会し、文通を始める。相手は6歳の男の子、手紙は読めないし、意味も分からない。それでもシュミットはこの子を相手に、自分の生活や人生を語り始める。

  この家には巨大なキャンピング・カーがある。老後これに乗って妻とあちこちと旅をする事を楽しみにしていた。所が妻が脳梗塞で突然倒れてしまった。シュミットは保険会社に勤めていたからお手のもの。シュミットの歳で、妻に先立たれて9年以内に死ぬ確率は73%。さて残された時間を精一杯生きるには。
  シュミットが妻の荷物を整理していると、ラブ・レターの束が出てきた。それは今から25年前、シュミットの友人から送られたもの。シュミットはカットなって妻の衣類をゴミ袋に捨て、友人の所に怒鳴り込んだ。
  シュミットに一人の娘がいて遠方に住んでいる。近々結婚する事になっているが、シュミットには相手の男が気に入らない。シュミットは娘の結婚式に出席する途中、これまでのゆかりの地を訪ねる事にした。巨大なキャンピング・カーは野山や町の中を走る。想い出の地は昔とは様変わりしていた。
  やがて娘のフィアンセの家に着いた。そこにいる人たちはどうも自分と住む世界が違うようだ。この結婚には断固反対せねば。然しそんなことが出来る訳がない。式は予定どおりに進んでいく。花嫁の父親の役は重要だ。不承不承シュミットは仕来たりに従う。やがて披露宴で父親のスピーチ。何を言い出すか心配されたが、格調の高い堂々としたもの。娘もホッと胸をなでおろす。
  帰宅後シュミットはアフリカの里子に、この旅の想い出をつづる。この旅はとても有意義なものであった。大自然の中で目覚めた私は生まれ変わっていた。別人のようだ。今までになく心が晴れやかだった。したいこと、すべき事がはっきりした。私を止めるものは、もはや何もない。
  さてシュミットはこの後どんな生き方をしたのだろうか。

  この映画を観に行った時、観客は6,7人しかいなかった。突然私のすぐ近くに座っていた人が大声で笑い出した。何だろうこの人は、少々いかれているのかしら。然しその人とその隣に座っている人は、この映画上映中笑い続けていた。映画が終わって明るくなると、なんと笑いの源は外人の老夫婦ではないか。これは字幕の出来が悪く、話のニュアンスが充分伝わらないのに違いないと思ったりした。勿論随所にユーモラスな所はある。それでもあの笑いは一体なにであろうか。定年後する事のない日本人は、このシリアスな話に観入っていたのに。
  この映画を観たすぐ後のこと、週刊朝日にアバウト・シュミットの記事が載っていた。その中で、デーブ・スペクターがこう言っていた。「この映画は、大人の知的喜劇である」なるほど、あの老人が笑うのは尤もな事なのである。日本人のように、シュミットの運命やいかになんて深刻に考えて観る方がおかしいのかも知れない。
  昨今グローバリズムが喧しい。然し経済の面はともかく、文化の面で世界は一つとはなかなかいかない。どうもその辺りに、民族紛争の種が潜んでいるように思える。
    
  私は会社のOB会の世話をしているので、定年を迎えた人達のその後の生活に就いて知る機会が多い。以前は仕事人間から仕事を抜いたら何も残らないと言われ、濡れ落ち葉と揶揄されたものだ。然し近頃は世代も変わったし、環境も整備されてきた。結構それぞれの生活をエンジョイしている。その中でパソコンの果たす役割が次第に大きくなってきているのも見逃せない。
  定年後の活動の領域としては、趣味の世界と、ボランティアの世界がある。趣味の世界は深い。定年後始めてもなかなか上達しない。さりとて在職中、趣味の世界に入れ込んで、仕事を疎かにしても困る。たまにはキャパが大きくて、仕事と趣味を両立させ、趣味を仕事に生かしている人も見受ける。まあ普通の人は、在職中は仕事、定年後はそんな高望みせず何か趣味を持つと言うのがいいのだろう。幸い、最近カルチャーセンターが各地に出来、多方面に亘って講座が設けられ、グレードも様々誰でも取り付きやすいようになっている。
  ボランティアも意外と多くの人が参加している。身近には自治会の役員、中には裁判所関係の仕事までまちまちである。世の為、人のための無償の行為は、人に生き甲斐を与えてくれる。彼等はその仕事振りをいきいきと語る。
  会社に勤めているときは給料を貰っている。あれをやれ、これはやるなと制約が多い。その上出来栄えを常に評価され収入に反映される。定年後は好きな事をやればよい。出来栄えを気にすることはない。然し人間は自由度が高くなるほど、何をやりたいのか分からなくなる。そして何か始めると人より上手くなりたくなる。
  シュミットはこの旅行によって、何か悟りを開いたようだが。  
                       ( 2003.06 )